祝福、OKINAWA1965

2018年7月7日〜8日

『祝福 〜オラとニコデムの家〜』

アンナ・ザメツカ監督

Communion 2016年 ポーランド 1時間15分

ユーロスペース

姉は弟の初聖体式に臨み、ハラハラドキドキ。

片時も目が離せず、口頭試問では緊張が極に達する。

いつもはふざけてばかりの多動症の弟ニコデムも必死に答える。

隣のオラは固唾をのみ、神父さんの表情と弟の態度を気にする。

その瞳には母親のまなざしが見てとれる。

まだ14歳の普通の女の子だから、遊びもおしゃれもしたい盛りだ。

しかしオラの家には、母親がいない(他の男と赤ん坊を作って暮らしている)。

同居の父親はアル中で、仕事をしているようには見えない。

一つ下の弟は自閉症(ADHD)で、学校の準備も入浴もひとりではできない。

父親も弟もなにかと面倒をかけるばかりで、本来親がやる家事や弟の世話や各種手続きをすべてオラがやらなければならず、自分の勉強もはかどらない。

イライラするのも当たり前。

母親にも甘えたいのに、電話をかけても素っ気ない。

養護施設に行かされたくないから、生活保護担当にも素直に現状を答えずにごまかす。

誰にも文句を言えず、たまに癇癪をおこす。

この世界の片隅で、やっと世界を臨むべく成長してきた子供たちに、この世界はどのように見えているのだろう。

無責任な大人たちのつくる殺伐とした世界だろうか。

頑張ってもがんばっても報われない冷酷な世界だろうか。

ニコデムの初聖体式が無事に終了し、ほっとするオラ。

クラスメイトとパーティではしゃぐ姿に、こちらもホッとする。

そして、待望の、お母さんの訪問、家族4人での食事。

今までにない最高の笑顔に、つい涙が零れそうになる。

しかし、その後の急展開に、浮き立つオラ、不安が募る父親。

落ち着かないニコデム、とまどう母親、泣き叫ぶ乳呑み児。

希望は失望に変わり、結局何も変わらない。

子どもよりも子どもっぽい親たちのせいで、「生きのびる」ことに全力をふりしぼらざるを得ず、本当の「生きるよろこび」を棚上げする子供たち。

でも、子どもの偉大さは、あらためて計り知れない、と思う。

どんな状況でも、楽しさを求める才能がある。

ふいに現れる無邪気な笑顔に、まだこの世界が腐り切っていないことを確認しつつ、「生きるよろこび」には限界がないことに気づいてくれるように、切に願う。

昨年度最大級の賛辞を送ったドキュメンタリー『トトとふたりの姉』(ルーマニア)と同様のシチュエーションで、またもカメラは奇跡的に、子供たちの生き様に肉薄するドラマを映し出した。

『トト〜』ほどのドラマティックな起伏はないが、今作の“結末のない”ラストシーンは、現実の厳しさをよりリアルに伝えており、ドキュメンタリーの本分と言える。

彼らにとっては、映画が終わっても日常は続くのだ。

という当たり前のことを最後に突きつける。

このあとに北条裕子氏の小説『美しい顔』を読んだ。

震災で親が津波に流された17歳の少女が、マスコミのカメラの前で「どうしたらウケがいいか」を考え、コツをつかんでいく。

そして独白する。

「・・・彼らは私に、痛みと希望、その相反するふたつのものを同時にテレビカメラに見せてもらうことに必死だった。苦しみと希望。このふたつ。・・・(中略)そのふたつが融合した時、もっとも私から“けなげ”が抽出できるらしかった。けなげは高く売れるらしかった。・・・」

この皮肉に満ちた深い洞察力を持つ少女またはこの若い作家に、ドキュメンタリーを撮るとき・観るときに陥りやすい俗物的視点を教えてもらった。

たしかに僕らは、ここでもオラに「苦しみと希望」の同居を期待してしまう。

それが垣間見えたときに「けなげ!」と泣いて喜ぶ。

困った。どうしよう。

そこにこそ「撮れ高」があると思っていたのだが。

オラはカメラに追跡されることを承諾したとき、どんなことを考えたのだろうか。

それは誰にもわからない。

しかし、少なくともオラはカメラに目を向けることはほとんどなく、意識した自己演出はなかったはずだ。

むしろ、カメラのないところでずいぶん泣いたのではないか。

『OKINAWA1965』

都鳥伸也監督

2017年 日本 1時間35分

アップリンク

米軍車両に轢殺された少女とそれを放置する米兵たちを映した1枚の写真を見たことがあるだろう。

単なる証拠写真というだけではなく、これがどんな背景を持つのかはあまり知られてこなかったのではないか。

沖縄の戦後史の、重い重い物語の断章が、この1965年のページから始まる。

撮影した嬉野京子さんを軸にして、このドキュメンタリーは綴られている。

東京出身すなわち本土の人間が当時の沖縄で活動することは容易ではない。

1972年の“返還”以前だから当然アメリカ施政下だ。

パスポートと滞在許可証を申請するのに、滞在理由をまともに書いたら通るわけがない。

時は「祖国復帰運動」の高まるさなか。

その行進に参加していたときに、その事件は起きた。

たまたま現場に居合わせた嬉野さん。

報道カメラマンとして撮影すれば、「命はない」と仲間から言われた。

しかもこの運動自体を瓦解させてしまうかもしれない。

沖縄の人たちでさえ腰が引けたが、運動主催者とある条件で折り合いをつけ、決死の覚悟でシャッターを切ったのだった。

数年後は伊江島で“沖縄のガンジー”こと阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)氏と土地を守る運動に参加した。

米国の“銃剣とブルドーザー”に対抗する非暴力主義は、今も続く島ぐるみ闘争のルーツだが、参加していた農民たちは両手両足を持たれて次々とトラックに放り投げられていった。

嬉野さんも捕まったが、解放後に米軍施政下で指名手配されてしまい、命からがら沖縄を脱出したという体験も紹介される。

かつて沖縄からベトナム戦争に派兵されたアレン・ネルソン氏が日本で平和活動を始めると、嬉野さんは全面協力を申し出た。

1995年に12歳の少女が3人の米兵にレイプされた事件にショックを受け、30年ぶりに沖縄にやってきたアレンさん。

ベトナム戦争後は沖縄の基地はなくなったと思っていたのでびっくり」

「それどころか、さらに強化されている」

米兵には祖国に引き揚げさせる働きかけをし、日本の子どもたちには、貧困から戦争に参加した自分の体験談を語る。

しかし。

かなしいかな、何も変わっていない。

むしろ、戦争の惨禍の記憶がますます遠いものになりつつある。

戦後教育も、“戦前教育”になりつつある。

映画のオープニングとエンディングは、2017年3月25日の辺野古での基地反対集会。

東京から飛んだ自分もそこにいただけに、感情は高まる。

まだ癌治療前の翁長知事のスピーチ。

今は容貌も変わった。今秋の知事選はどうなるのだろう。

最後に、“共謀罪見せしめ”の不当逮捕・不当勾留5か月から解放された山城博治さんが登場。

その元気な“チア・リーディング”に、思わず拍手しそうになって困った。

僕とフェイスブックでお友達になった読谷村の城間真弓さんが、若い女性議員と対談しているシーンも出てきた。

辺野古新基地反対を掲げて圧倒的に支持されて当選した翁長知事なのに、国は全く方針を変えなかった。不条理を強く感じて、運動に参加した」

「フツーの」若い保育士ママさんが、仕事や子育て・家事をこなしながら辺野古基地反対のために座り込みやスタンディングをする日常が、明るく元気に、時には落ち込み疲れ果て、普通の市民の感覚でFBのタイムライン上に語られて、すぐれたエッセイとなっているので僕はファンのように応援している。

この夏、彼女は村議会議員選挙に立候補した。

この映画の第2弾『私たちが生まれた島〜OKINAWA2018〜』では、SEALDs琉球の元山仁士郎君とともに城間さんがメイン・フィーチャーされるというから楽しみだ。

沖縄問題にいつ気づくか。

ここに主権獲得のための最前線があること、日本全体の問題であることに、いつ気づくか。

自分の胸ぐらを摑まれるような感情をともなって見つめることができるのは、いつなのか。

それが、1億2千万人一人ひとりに、問われている。

その体験に導いてくれる入門編のひとつとして、この作品はふさわしいだろう。

僕の場合は『標的の村』だった。

以下、いくつか挙げておきます。

『標的の村』

『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』

『標的の島 風かたか』

『沖縄スパイ戦史』(今夏公開)

いずれも三上智恵監督

『沖縄 うりずんの雨』(ジャン・ユンカーマン

『米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー』(佐古忠彦

『STAR SAND 星砂物語』(ロジャー・パルバース

★その他の鑑賞作品★

ガザの美容室』(タルザン&アラブ・ナサール) アップリンク ★★★☆

告白小説、その結末』(ロマン・ポランスキー) ジャック&ベティ ★★★☆